些末な知識は網羅的な知識の象徴ではなく、たまたま知ることとなった一知識でしかない

九十年代後半以降のネット検索時代を経ると、情報なんてものは、そういう一部の「専門家」だけじゃなくて、誰でもがアクセスできるし、そもそもがとても一人の手には負えないほど膨大で、結局は選択的に自分の関心のある世界のものだけに手を伸ばすか、大雑把な全体の把握に努めるくらいのことしかできないという認識が一般化したと思います。・・・<中略>
作家でもアカデミックな世界の研究者でも、知ってる、ということだけでは、もう威張れない。ネットの検索機能を利用すれば、誰もがその知識にアクセスできるわけですし、些末な知識は網羅的な知識の象徴ではなくて、たまたま知ることとなった一知識でしかない
ウェブ人間論』〜第一章 P.23,24〜