文化には価格がつかないため、文化価値の破壊は経済的損失とはカウントされない

たとえば、資本主義が発達して、消費生活がさかんになった結果、伝統的な生活習慣が失われたとする。伝統が消えたことはその社会にとっては損失であるかもしれないが、その損失を金銭で表せないのであれば、それは経済学の対象とはならない。まさに「外部」性なのである。
こうした経済学が持つ限界が、今や世界中で伝統文化を破壊し、社会のつながりを破壊していると言ってもいい。
文化には「価格」はつかないから、文化的な価値を市場が壊していっても、それは経済的損失としてはカウントされない。文化損失のコストは計算できないから、どんどん伝統文化は破壊されてしまっても、経済学においては問題にされない。
『資本主義はなぜ自壊したのか』 〜第三章 「悪魔の碾き臼」としての市場社会 P.132〜