アメリカ人は抽象化可能で論理的に明快に説明できることのみを議論の対象とする

アメリカはさまざまな国や地域から人が集まってできた国だ。そのような移民の国では、1人ひとりが自分の出身国の歴史や文化を持ち出したら、その瞬間、議論はストップしてしまう。あまりに多様だからであり、その多様性を尊重していたら、しばしば理論化は不可能になってしまうからである。したがってアメリカでは、できることなら特定の歴史や文化を議論の対象にしてはならず、どんな出身の国の人にも通じる言葉(英語)、そして普遍性のある論理を使わなければダメとされているのだ。要するに、歴史や文化のような特殊なもの、合理的に説明できない部分、は切り捨てて、抽象化可能な部分、ロジックだけで明快に説明できる部分……これを彼らは普遍的論理と呼んでいる……でしか議論しないのがアメリカという国なのである。
『日本の「復元力」』 〜第4章 西洋価値感の何が問題なのか P.186, 187〜