ネットの負の部分をやりすごすリテラシー

一つの悪意が無数の善意を吹き飛ばしてしまう。僕もそういう気分になることがあります。でも、それでネットを否定してしまったら、もったいない。個として、そういう負の部分をやり過ごす強さとか、見ないようにするリテラシーを、これからのネット社会では身につけなくてはいけないと思うんです。
…<中略>道具っていうのは正の部分と負の部分があり、負の部分も同じように増幅されていくから、犠牲者が出ますよね。だからやはり十九世紀の人たちが、どうすれば鉄道に轢かれないですすむかというリテラシーを身につけたのと同じ意味で、自分の中でリテラシーとして強く持つ以外ないと思うんです。
ウェブ人間論』〜第二章 P.109-111〜