知識労働者のあり方

「社員の過重労働、労働酷使に対する抗議」であるというものであった。さらにこれに対して、吉田は「言語道断である」と怒りをあらわにした。
「酷使とはなんだ。会社に入って三年や四年は勉強時代である。一生懸命勉強しなければ、この社会で正面向いて、ものは言えない。従って正面向いて飯は食えない。正面向いて飯が食えるように勉強しろと言うことである。勉強することが酷使であるかどうか。大学の運動部の選手は、あれは何だ。激しい練習を毎日繰り返しておる。これも労働酷使か。広告代理業の仕事というものが労働酷使なら、われわれは考え直さなければならない。学校をでたばかりのずぶの素人を雇うことは、やめなければならない。賃上げを要求するための、伏線として労働酷使といったのかも知れないが、電通のような知識労働の面に酷使という言葉を使っている。一般概念にははまらない電通のような仕事の、電通のような種類の広い意味での労働というものに酷使という言葉が使えるというのであれば、これは賃金の問題とは全然別だ。知識労働なり、精神労働と言われる全部の種類を考え直さなければならない問題である。」
『「われ広告の鬼とならん』 〜第六章 構想と挑戦 P.369,370