著作者の富を守るために、他人の表現の自由を侵害する権利を認めてよいのか

私たちの社会が工業化の段階を過ぎて新しい段階に入ろうとしているとき、改めて考える必要があるのは、社会の究極の価値は何かということだろう。富は欠乏からの自由を得るための手段だったはずなのに、富の追求が目的になる資本主義社会は倒錯しているのではないか。まして著作者の富を守るために、他人の表現の自由を侵害する権利を認めてよいのだろうか。財産権を破棄することが自由な社会の条件だというマルクスの結論は間違っていたが、知的財産権についてはマルクスハイエクの意見は一致するかもしれない。
『ウェブは資本主義を超える』 〜イノベーションの条件 P.106〜