国策操作は真実追及の場ではなく政治ゲームの一局面

国策操作というのは、真実追求の場ではなく、政治ゲームの一局面なのだということを「思考する世論」に理解させることが重要と私は考えています。そのために、被告人が検察には全く恨みを持っておらず(もちろん本心では恨み骨髄に徹しているのだが)、「検察の立場からするとそのように見えるのでしょう」という姿勢を示すことに意味があると思います(北方領土に関するロシアでの宣伝工作の第一歩は、「ロシア人は愛国者で、クリル諸島[北方領土]を断固擁護しようと考えている。それはよくわかるし、その愛国心を私は尊敬している。なぜなら私は日本の愛国者だからだ」というロジックで、こちらの言うことに耳を傾けさせることだった)。
『獄中記』 〜第5章 神と人間をめぐる思索 P.331〜