われわれは「言葉」に関して常に思考するのを強いられる

それは、一度この非対称性を意識してしまえば、我々は、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる運命にあるということにほかなりません。そして、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる者のみが、<真実>が一つではないということ、すなわち、この世には英語でもって理解できる<真実>、英語で構築された<真実>のほかにも、<真実>というものがありうること―それを知るのを、常に強いられるのです。もちろん英語を書く作家にも言葉に関して思考をする作家はいるでしょう。でもかれらは、私たちのように常に思考するのを強いられる運命にはない。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜二章 P.88〜