中国人は特定の思想の観点から善悪を明確にわける

日本の歌舞伎では、最初悪玉として登場した人物が実は善玉だったり、あるいはその逆だったりと、登場人物の善悪が途中で変わることが多い。日本の民衆は、芝居でも人間の多面性を楽しみたがる。
中国の芝居や映画では、善玉は徹底して善玉で、悪玉は徹底して悪玉である。途中で善悪が入れ替わることは、ありえない。・・・<中略>
中国人にとっての歴史も、京劇と同じである。実在した歴史上の登場人物は、善玉と悪玉に峻別される。客観公平を信条とする歴史学者でさえ、昔ならば儒教、現在ならば共産主義の視点から、善玉と悪玉を分ける。善悪が単純明快でないと、中国人は、歴史を認識できないのだ。
『貝と羊の中国人』 〜第五章 ヒーローと社会階級 P.146〜