原材料不足という課題をラジオ開拓で解決

この頃、新聞は紙不足で四頁建て。広告は未掲載のまま山積し、新聞社広告曲は代理業者の言い分など聞く余裕すらない。・・・<中略>だから広告の仕事は、看板広告や電柱広告などを積極的にやらねば、代理業の行き抜く道はなかった。吉田の理論は次のように続いた。「ラジオは原材料がいらぬのや、これを開拓しなければ、にっちもさっちもいかなくなる。これを開拓することによって日本の広告界もよくなる」
ラジオこそ新しい媒体として認め、これからの広告界を創っていく原動力にもなるという考えがあった。
『「われ広告の鬼とならん』 〜第三章 模索と先駆 P.187,188〜