人材育成を経営の中核にすえる真の方法

吉田の責務の一つに、終戦直後、電通の再出発のために、各界から人材を次々に抜擢してきた。その人材を育て、活躍させねば、彼の言う「荒廃した日本の広告界を復興する」ことはできなかった。なにしろ広告人や広告界そのもののスケールが小さく、非近代のセールスが横行しているのが現実であった。まさに泥沼の業界であった。そんな業界に、吉田は大胆不敵にあらゆる業界出身の人材を吸収してきた。そして、業界、電通のレベルを高く、広くしようとする意図があった。それら人材が、いずれ各界への接点となることを想定していた。それは同時に、人材達が経験才幹を、この広告界と電通において、最も有効に活かしてくれることを望んできたからだ。
『「われ広告の鬼とならん』 〜第五章 大衆を撃つ P.291,292〜