限られて資源の中で平和に暮らした鎖国時代の日本人の知恵は、二十一世紀の地球全体にとっても、大いに重要である

第一点 鎖国時代に作り上げられた日本社会の仕組みをよく知っていれば、日本が開国後、迅速かつ徹底的に近代化を実現できたことは全く驚くに足りないことだ。
第二点 鎖国時代の日本社会を正確に考察すれば、今日の日本を理解することができること。というのは、今日、日本人を良きにつけ悪しきにつけ、動かしていることの多くは、鎖国時代と一直線につながっているからである。
第三点 限られて資源の中で平和に暮らした鎖国時代の日本人の知恵は、二十一世紀の地球全体にとっても、大いに重要であること。鎖国時代、日本では、三千万もの人々が限られた面積の国土で生きなければならなかった。にもかかわらず二百年以上もの間、驚くほど穏やかに、平和に仲良く暮らすことにせいこうしたのである。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 〜第一章 世界の端で P.35〜

日本ほど、貧富・階層の差が極端でない国、民族はない

日本には革命がなかった。なぜか、という問いにはたくさんの答えが可能であるが、結局日本ほど、貧富の差、上層と階層の差が極端でない国は、世界のどこの国、どこの民族にもないということである。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 〜第二章 劣等民族か超人か  P.44〜

鎖国下、狭い国土の中の過剰供給が品質と評判に対する高度な日本人の意識を育んだ

商人たちは最も大切な資金と顧客を宝物のように扱った。顧客の信用こそが第一だった。狭い閉鎖された社会では悪い評判がたつような不誠実な行いをすることはできなかった。たとえそれで大金を一度は設けることができても、評判がくずれるということは、人生が崩れることだった。他の場所に移って働くことは空間的にも社会的にも難しい。働く場所はどこもいっぱいだった。・・・<中略>
数十年ほど前まではまだ全盛をきわめていた欧米諸国の工業部門を奈落の底に落とした日本人のこの能力は、いったい何に由来するのか。その答えは、四百年前に始まっていたのである。日本が統一した経済圏としてまとまり、その後、鎖国という条件の中で、品質に対する高度な意識と商人的能力とを発展させた四百年前に始まっていたのである。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 〜第四章  P.86〜

一つの教義を絶対的真理として信じるように強制されることはなかった

日本では、一つの教義を絶対的真理として信じるように強制されることはなかったから、違った信仰を持つことは命に関わる危険なことではなかった。日本には反駁の精神を煽りたてたり、燃え上がらせたりする一神教は存在しなかった。また世俗の世界でも、古い時代のヨーロッパにみられたような絶対専制君主はいなかった。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 〜第十六章  P.264〜

社会が押しつけずとも協調を重んじ、自己を押し出すことは日本人はしない

この二つのケースとも、その行為は社会が押しつけたものではなく、自尊心のしからしめる所だった。二人にとっては自分に対する誇りの問題だった。最も純粋な形の個人主義の表現である。
日本にもこの意味の個人主義者はたくさんいる。彼らは他の人たちと何ら変わりなく、協調を心がけている。自分の利害に関わりのある摩擦が起きても、西洋人より一歩も二歩も多く退いて、がむしゃらに自己を押し出すようなことはしない。
もしみんなが自我を全てに優先してしまったら、社会は崩壊するという鎖国時代の感覚が一貫してまだ生きているのである。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』 〜第十六章  P.271〜