人がかくもさまざまな言葉で書いているという事実は最後まで驚きであった

私はくり返し思った。
人はなんとさまざまな条件のもとで書いているのであろうか。
だが、さらにくり返し思うことがあった。
人はなんとさまざまな言葉で書いているのか。
そして、その思いは、作家たちと一緒にいるあいだに、どんどんと深まるばかりであった。人が地球のあらゆるところで書いていること、金持の国でも貧乏な国でも書いていたり、言葉の自由を抑圧されながらも書いていたりする事実には、しだいに慣れていった。だが、人がかくもさまざまな言葉で書いているという事実は、最後まで驚きであった。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜一章 P.43、44〜

書くという行為は、目の前にある世界を、見知らぬ空間へと届かせ、言葉を共有してもらうこと

書くという行為は自慰行為ではありません。書くという行為は、私たちの目の前にある世界、私たちを取り巻く世界、今、ここにある世界の外へ外へと、私たちの言葉を届かせることです。それは、見知らぬ未来、見知らぬ空間へと、私たちの言葉を届かせ、そうすることによって、遭ったこともなければ、遭うこともないであろう、私たちの本当の読者、すなわち、私たちの塊の同胞に、私たちの言葉を共有してもらうようにすることです。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜二章 P.84〜

われわれは「言葉」に関して常に思考するのを強いられる

それは、一度この非対称性を意識してしまえば、我々は、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる運命にあるということにほかなりません。そして、「言葉」にかんして、常に思考するのを強いられる者のみが、<真実>が一つではないということ、すなわち、この世には英語でもって理解できる<真実>、英語で構築された<真実>のほかにも、<真実>というものがありうること―それを知るのを、常に強いられるのです。もちろん英語を書く作家にも言葉に関して思考をする作家はいるでしょう。でもかれらは、私たちのように常に思考するのを強いられる運命にはない。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜二章 P.88〜

「国語」とは「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」

ここでは、「国語」を、「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」を指すものとする。<国民国家>という概念が近代的な概念であるように、<国語>という概念も近代的な概念である。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜三章 P.105〜

人類の叡智の蓄積は一つの<書き言葉>でなされたほうが論理に適う

その<書き言葉>による人類の叡智の蓄積は、たいがいの場合は、一つの<書き言葉>でなされたほうが論理に適う。どんな言葉で話していようと、地球に住むすべての人が一つの<書き言葉>で読み書きすれば、人類の叡智は、もっとも効率よく蓄積されるからである。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜三章 P.123〜

<国語>は翻訳を通じて<普遍語>と同じレベルで機能するようになったもの

<国語>とは、もとは<現地語>でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、<普遍語>と同じレベルで機能するようになったものである。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜三章 P.133〜

自分の読者が、自分と同じ世界を共有することのないという寂しさ

いかに漱石が自分と遠く離れた文字文化に生きていたかをまのあたりにしたとき、胸を打つのは、漱石の寂しさである。これからの自分の読者は、自分と同じ世界を共有することはないのを知りつつ生きる一人の人間の寂しさである。しかも、その寂しさは、非西洋人すべてが多かれ少なかれ通りぬけなければならない寂しさである。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜五章 P.225〜

世界の研究の場へ参加し、書いたものにより大きな意味をもたせるには英語で書くことが必要

日本の学者たちが、今、英語でそのまま書くようになりつつある。自然科学はいうまでもなく、人文科学でも、意味のある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。そして、英語で書くことによって、西洋の学問の紹介者という役割から、世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある―世界の<読まれるべき言葉>の連鎖に入ろうとしつつある。実際、「国際的に活躍する」などという言葉が意味をもつのは、国内向けにしか活躍できない分野に身をおく学者の話であり、学問をするとは、苦労して英語で書き、なんとか国際的に活躍するしかないところまで、現実は動き始めているのである。たとえ日本にかんして何かを書くにしても、大きな問題を扱えば扱うほど、英語で書いたほうが意味をもつのだから当然である。日本の学者たちが英語で書きはじめつつあるその動きは今はまだ水面下の動きでしかなく、町を行く人tには見えない。だが、あるときからは、誰の目にも明らかになるであろう。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜六章 P.256〜

シンガポールは<書き言葉>を中心に見れば「国民総バイリンガル社会」ではない

シンガポールには、ほかの旧植民地と決定的に異なる点がある。ほかの旧植民地においては、英語を流暢に操れるのはほとんどが上層階級に限られているのに、シンガポールでは、新しい世代の国民が英語をある程度流暢に操れるのである。・・・<中略>シンガポール人の<話し言葉>の英語は「シングリッシュ」とよばれるが、<書き言葉>は規範的な英語である。シンガポールは、まさに一見したところ「国民総バイリンガル社会」なのである。
だが、その「国民総バイリンガル社会」も、実態を近くで見れば、「あれも、これも」の困難が、明らかになってくる。シンガポールでは、国民教育の多くが英語を学ぶのに割かれているだけではない。しかも、英語での授業の比率は、小学校、中学校、高等学校と上のレベルに行くにつれて増えていく。大学に至っては、ほとんどの授業が英語で行われる。民族語も学ぶことができるが、基本的には、言葉や文学として学ぶのであり、それらの言葉でもって学問をする訳ではない。民族語は政府によって保護され、「公用語」の地位を与えられ、学ぶことが推奨されているにもかかわらず、例外的な教育を受けない限り、事実上は<現地語>でしかないのである。・・・<中略>
日本人が、シンガポールのような国に「国民総バイリンガル社会」の理想を見いだすのは、ほかでもない、言葉というものを、<話し言葉>を中心に見ているからである。このことは、強調しても、しすぎることはない。シンガポール人は英語と民族語と両方の言葉を話す。だが、言葉を<書き言葉>を中心に見れば、シンガポール人は英語人である。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 〜七章 P.280、281〜