知識労働者の帰属意識は専門領域にある

一九五〇年代、六〇年代のアメリカでは、パーティで会った人に何をしているかを聞けば、「GEで働いている」「シティバンクにいる」など、雇用主たる組織の名前で返ってきた。当時のアメリカは、今日の日本と同じだった。イギリス、フランス、ドイツその他あらゆる先進国が同じだった。ところが今日、アメリカでは、「治金学者です」「税務をやっている」「ソフトウェアの設計です」と答えが返ってくる。少なくともアメリカでは、知識労働者は、もはや自らのアイデンティティを雇用主たる組織に求めなくなっており、専門領域への帰属意識をますます強めている。今日では日本においてさえ、若い人たちが同じ傾向にある。
『プロフェッショナルの条件』 〜はじめに P.viii、ix〜

組織は知識労働者を惹きつけ、認め、動機付け、満足させなければならない

あらゆる組織が、「人が宝」と言う。ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない。ほとんどの組織が、無意識にではあろうが、一九世紀の雇用主と同じように、組織が社員を必要としている以上に、社員が組織を必要としていると信じ込んでいる。
しかし事実上、すでに組織は、製品やサービスと同じように、あるいはそれ以上に、組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている。組織は、人を惹きつけ、引き止められなければならない。彼らを認め、報い、動機づけられなければならない。彼らに仕え、満足させられなければならない。
『プロフェッショナルの条件』 〜新しい社会の主役は誰か P.41〜

日常の仕事の流れに任せていては、本当に重要なものはみえてこない

何が本質的に重要な意味を持ち、何が派生的な問題にすぎないかは、個々の事象からは知る由もない。・・・<中略>
したがって、日常の仕事の流れに任せて、何に取り組み、何を取り上げ、何を行うかを決定していたのでは、それら日常の仕事に自らを埋没させることになる。たとえ有能であっても、いたずらに自らの知識と能力を浪費し、達成できたはずの成果を捨てることになる。彼らに必要なのは、本当に重要なもの、つまり貢献と成果に向けて働くことを可能にしてくれるものを知るための基準である。だがそのような基準は、日常の仕事の中から見出せない。
『プロフェッショナルの条件』 〜なぜ成果があがらないのか P.72、73〜

優れた専門分野を持つ人を如何に活用するかが大事

われわれに必要なものは、専門分野の一つに優れた人を、いかに活用するかを知ることである。すなわち、彼らの能力を発揮させる方法を知ることである。資源の調達を増やすことができなければ、資源の算出を増やさなければならない。成果をあげる方法を知ることこそが、能力や知識という資源からより多くの優れた結果を生み出す唯一の手段である。
『プロフェッショナルの条件』 〜なぜ成果があがらないのか P.78、79〜

自らの専門や自らの部下と組織全体や組織の目的との関係について、徹底的に考える

あるコンサルタントは、新しい客と仕事をするときに、最初の数日間を使って先方の組織や歴史や社員について聞くなかで、「ところで、あなたは何をされていますか」と尋ねることにしているという。殆どの者が、「経理部長です」「販売の責任者です」と答える。時には、「部下が八五〇人います」と答える。「他の経営管理者たちが正しい決定をくだせるよう情報を提供しています」「客が将来必要とする製品を考えています」「社長が行うことになる意思決定について考え、準備しています」などと応える者は、きわめて稀だという。・・・<中略>
貢献に焦点をあわせることによって、専門分野や限定されて技能や部門に対してではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向けるようになる。自らの専門や自らの部下と組織全体や組織の目的との関係について、徹底的に考えざるをえなくなる。・・・<中略>
「どのような貢献ができるか」を自問することは、自らの仕事の可能性を追求することでもある。そう考えるならば、多くの仕事において、優秀な成績とされているものの多くが、実は、その膨大な貢献の可能性からすれば、あまりにも小さなものであることがわかる。
『プロフェッショナルの条件』 〜貢献を重視する P.84、85〜

新しい任務で成功するためには、新しい挑戦、仕事、課題に集中すること

新しい任務で成功するうえで必要なことは、卓越した知識や卓越した才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において重要なことに集中することである。
『プロフェッショナルの条件』 〜貢献を重視する P.84、85〜

時間は他のもので代替できず、真に普遍的な制約条件である

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。それが時間である。時間は、借りたり、雇ったり、買ったりすることはできない。その供給は硬直的である。需要が大きくとも、供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅する。蓄積もできない。永久に過ぎ去り、決して戻らない。したがって、時間は常に不足する。時間は他のもので代替できない。他の資源ならば、限界はあっても、代替することはできる。アルミの代わりに銅で代替できる。労働の代わりに資本で代替し、肉体の代わりに知識で代替できる。時間には、その代わりになるものがない。
時間はあらゆることに必要となる。時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。しかるに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を当たり前のように扱う。おそらく、時間に対する愛情ある配慮ほど、成果を挙げている人を際立たせるものはない。しかし一般に、人は時間を管理する用意ができていない。
『プロフェッショナルの条件』 〜時間を管理する P.119、120〜

すべての仕事に対して、しなかったら何が起こるのかを考える

いかなる成果も生まない完全な時間の浪費であるような仕事を見つけ、捨てなければならない。そのような浪費を見つけるには、時間の記録に出てくるすべての仕事について、「まったくしなかったならば、何が起こるのか」を考えればよい。「何も起こらない」が答えであるならば、明らかに結論は、その仕事をただちにやめよということになる。
『プロフェッショナルの条件』 〜時間を管理する P.127〜

ルーティン化とは、有能な人間から学んだことを、体系的かつ段階的なプロセスにまとめてしまうこと

ルーティン化とは、判断力のない未熟練の人でも、天才的な人間を必要とするようsな仕事を処理できるようにすることである。有能な人間から学んだことを、体系的かつ段階的なプロセスにまとめてしまうことである。
『プロフェッショナルの条件』 〜時間を管理する P.130〜

貢献するための時間よりも、行うべき貢献ははるかに多い、時間の収支は常に赤字

成果をあげるための秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。成果をあげるひとは、もっとも重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない。
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行なうための時間よりも、行わなければならない貢献のほうが多いからである。行なうべき貢献を分析すれば、当惑するほど多くの重要な仕事がでてくる。時間を分析すれば、真の貢献をもたらす仕事に割ける時間はあまりに少ないことがわかる。いかに時間を管理しようとも、時間の半分以上は依然として自分の時間ではない。時間の収支は、常に赤字である。
『プロフェッショナルの条件』 〜もっとも重要なことに集中せよ P.137〜

古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法

古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。私の知るかぎり、アイデアが不足している組織はない。創造力が問題ではない。そうではなく、せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題なのである。みなが昨日の仕事に忙しい。
『プロフェッショナルの条件』 〜もっとも重要なことに集中せよ P.141〜

無難で容易なものではなく、変革をもたらすものに照準をあわせる

優先順位の決定については、いくつかの重要な原則がある。しかしそれらの原則はすべて、分析ではなく勇気に関わるものである。
すなわち第一に、過去ではなく未来を選ぶことである。第二に、問題ではなく機会に焦点を当てることである。第三に、横並びではなく自らの方向性をもつことである。第四に、無難で容易なものではなく、変革をもたらすものに照準をあわせることである。
『プロフェッショナルの条件』 〜もっとも重要なことに集中せよ P.143〜

成果をあげる意思決定を行ううえで必要とされる五つのステップ

第一に、問題の多くは基本に関わるものであり、原則や手順についての決定を通してのみ解決できることを認識していた。第二に、決定が満たすべき必要条件を明確にした。第三に、決定が受け入れられやすくするための妥協を考慮する前に、正しい答えすなわち必要条件を満足させる答えについて徹底的に検討した。第四に、決定に基づく行動を決定のプロセスに組み込んでいた。第五に、決定の適切さを結果によって検証するために、フィードバックを行った。
これが、成果をあげる意思決定を行ううえで必要とされる五つのステップである。
『プロフェッショナルの条件』 〜意思決定の秘訣 P.148〜

「この問題を解決するために最低限必要なことは何か」を考え抜くことにより必要条件は明確になる

必要条件を簡潔かつ明確にするほど、決定による成果はあがり、達成しようとするものを達成する可能性が高まる。逆に、いかに優れた決定に見えようとも、必要条件の理解に不備があれば、成果を上げられないことが確実である。必要条件は、「この問題を解決するために最低限必要なことは何か」を考え抜くことによって明らかになる。
『プロフェッショナルの条件』 〜意思決定の秘訣 P.152〜

意思決定は最初の段階からとるべきアクションを組み込むことが必須

決定に於いて最も困難な部分が、必要条件を検討する段階であるのに対し、もっとも時間のかかる部分は、成果を上げるべく決定を行動に移す段階である。 決定は、最初の段階から行動への取り組みをその中に組み込んでおかなければ、成果は上がらない。事実、決定の実行が具体的な手順として、誰か特定の人の仕事と責任になるまでは、いかなる決定も行われていないに等しい。それまでは、意図があるだけである。
『プロフェッショナルの条件』 〜意思決定の秘訣 P.155〜

成果をあげる決定は苦いが「もう一度調べよう」という誘惑に負けてはならない

決定には判断と同じくらい勇気が必要であることが明らかになる。薬は苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に、成果をあげる決定は苦い。
ここで絶対にしてはならないことがある。「もう一度調べよう」という誘惑に負けてはならない。臆病者の手である。臆病者は、勇者が一度死ぬところを、一〇〇〇回死ぬ。「もう一度調べよう」という誘惑に対しては、「もう一度調べれば、何か新しいことが出てくると信ずべき理由あるか」を問わなければならない。もし答えがノーであれば、再度調べようとしてはならない。自らの決断力のなさのために、有能な人たちの時間を無駄にすべきではない。
『プロフェッショナルの条件』 〜意思決定の秘訣 P.167〜

受けたの見たいこと、聞きたいことを知ることコミュニケーションの前提

受け手が見たり聞いたりしたいと思っているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。受け手が期待するものを知って初めて、その期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックが必要かどうかを知りうる。
『プロフェッショナルの条件』 〜優れたコミュニケーションとは何か P.171〜

組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立すること

効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持するものである。もちろん、妥協することもある。
『プロフェッショナルの条件』 〜仕事としてのリーダーシップ P.185〜

気質や個性は訓練では変えられないので、重視し、明確に理解する

自らの成長のためには、自らに適した組織において、自らに適した仕事につかなければならない。そこで問題になるのは、「自らの得るべき所はどこか」ということである。この問いに答えを出すには、自らがベストを尽くせるのはいかなる環境かを知らなければならない。
学校を出たばかりでは、自らのことはほとんど何も分からない。大きな組織のほうが仕事ができるか、小さな組織のほうができるかはわからない。人と一緒に仕事をするほうがよいか、一人のほうがよいのか、不安定な状況のほうがよいのか、逆なのか。時間の重圧があったほうがよいのか、ないほうがよいか。迅速に決定するほうか、しばらく寝かせないとだめなほうか。
最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事につく確率は高くない。得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年が必要である。
われわれは気質や個性を軽んじがちである。だが、気質や個性は、訓練によって容易に変えられるものではないだけに、重視し、明確に理解することが必要である。
『プロフェッショナルの条件』 〜何によって憶えられたいか P.229〜

「何によって憶えられたいか」を一生を通じて問い続けていく

今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。
『プロフェッショナルの条件』 〜何によって憶えられたいか P.235〜

新しい技術からいかなる産業が生まれるかは、誰も予測できない

IT革命から、いかなる新産業が生まれ、いかなる社会制度、社会機関が生まれるかはまだわからない。一五二〇年当時、やがて世俗的な本が出現することなど予測できなかった。世俗的な演劇の出現も予測できなかった。一八二〇年代当時では、電報や写真や公衆衛生の出現も予測できなかった。
しかし、絶対とまではいかなくとも、かなりの確率をもって今予測できることがある。それは、今後二〇年間に、相当数の新産業が生まれるであろうことである。しかもそれらの多くは、IT、コンピュータ、インターネット関連ではないであろうことである。
『プロフェッショナルの条件』 〜IT革命の先に何があるか P.249〜