意思決定の質
私たちの計画を引き受けることができたのは、予測される大きなリスク―現実的で政治的なリスク―を進んで覆うとうする大統領と政府だけだったかもしれない。分析の誤りや予知できない状況のせい、あるいは予知できるリスクが実際に起こっていたために、失敗していたかもしれない。もし確率が正確に三対一と予測されるならば、四回に一回は失敗することになるのだ。不幸にもワシントンは―政治のプロセスとマスメディアは―意思決定の質でなく、結果だけを基準にして決定を判断する。・・・<中略>私は、決定は結果だけを基盤にして評価すべきでないと思った。介入をめぐる最良の決定でさえも蓋然的で、失敗するリスクが現にある。しかし失敗したからといって、必ずしもその決定がまずいということにはならない。
『ルービン回顧録』 〜第一章 P.57〜
ハーバードでルービンが学んだこと
デモス教授は証明可能な確実性があるというプラントラの哲学者を尊敬していたが、私たちに教えたのは、人の意見や解釈はつねに改訂され、さらに発展するという見解だった。教授はプラントなど哲学者の思想を取り上げて、いかなる命題でも最終的あるいは究極的な意味で真実だと証明することは不可能である、と説き明かしていった。私たちには、分析の論理を理解するだけでなく、その体系が仮説、前提、所見に拠っている点を探し出すことが求められた。
・・・<中略>デモス教授に学んだアプローチを私はよく次のように要約する。「証明可能な絶対的なものはない」。・・・<中略>あとになって思えば、主張や命題を額面どおり受け取らないこと、見聞したことは逐一、探求と懐疑の精神に従って評価することこそ、大学で得た最も重要な収穫だったと言える。しかしデモス教授が種をまき、ハーバードが育てた成果は、懐疑主義にとどまらなかった。絶対的な意味で何も証明できないという概念いったん自分の心に取り込むと、人生をそれだけますます確率、選択、バランスで考えるようになる。証明可能な真実がない世界で、後に残る蓋然性をいっそう精密にするためには、より多くの知識と理解を身につけるしかない。
『ルービン回顧録』 〜第二章 P.84〜
達成感を見つける場所
人が達成感を見つける場所は、自分の心の中においてほかにない。しかし、そこはあちこち探し回ったあげく最後に目を向けるということがあまりに多いのだ。『ルービン回顧録』 〜第二章 P.94〜
グリーンスパンの妙技
つまり十分に準備を重ね、相手の心をつかみ、相手の意見を尊重することだ。アラン・グリーンスパンはこの点にかけて卓越した才を兼ね備えていた。グリーンスパンは質問に答える際には、たとえ少々的はずれな質問であっても、まずそれに敬意を表する。そして「地球が平らであるとは、面白いお考えですな」などとコメントするのだ。それから「ご質問を言い換えさせていただいてもよろしいでしょうか」と言いながら、全く違う質問をみずからに問い、相手を煙に巻くような絶妙なニュアンスで答えるので、質問者はもっともらしい顔でうなづくか、よくわからないと認めるしかなくなるのである。
そのあと、グリーンスパンは「ご質問の答えになっているでしょうか」と尋ねる。
すると議員は決まって「はい」と答えるのだった。
『ルービン回顧録』 〜第七章 P.249〜
モデルの限界と現実の複雑性
確かにモデルは市場を分析するのに有益な手段であり、意思決定に役立つ情報を与えてくれる。しかし、最終的な判断はトレーダーが下さねばならない。現実というものは、非常に高度なモデルをもってしても分析できないほど、複雑なものだからである。
『ルービン回顧録』 〜第十章 P.376〜
長く同じ仕事をすること
時がたつにつれ、よいことも次第に支えとならなくなり、悪いことはいっそうわずらわしく思えてくる、と。私も、すでにこの境地に入っていた。
『ルービン回顧録』 〜第十章 P.389〜
政府機関に民間企業が学ぶべきこと
民間企業が政府機関に学ぶことで利益になると思うひとつの分野は、省庁間の協調、つまりいくつかの分野にまたがるような問題に関してはさまざまな専門分野の人材を集め、それぞれの意見に耳を傾けて共通の見解をもとめることである。またそのほかにも二点ほど、互いに密接に関連した見習うべき点がある。一点目は、一種の危機管理の手法である。民間企業が思いがけない形でスキャンダルに巻き込まれ、表沙汰になることが増えてきているためだ。また、世間の注目を集める問題に適切に対処し、うまく「メッセージ」を伝える方法も見習うべきである。さらにもうひとつ、政府と直接交渉することも見習ったほうがよいだろう。
『ルービン回顧録』 〜第十一章 P.410〜
アメリカ型経営の長所と短所
・・・<中略>、四半期ごとの収益への関心の高まりは百害あって一利なしとは言わないが、善悪の両面があったことは否めない。・・・<中略>、この問題をマーク・ウィンケルマンと話し合ったことがある。・・・<中略>「アメリカの経済システムの甚だしい欠点は短期的な視野にばかりとらわれていることだ」と私は指摘した。
ウィンケルマンは私の考えに同意しなかった。短期重視は企業が問題点を見直すよい機会だととらえていた。理想的な管理職なら、長期的展望さえ持っていれば最適な経営ができるだろう。しかし管理職も生身の人間なので、長期的展望を、問題に取り組まない言い逃れに利用しがちである。・・・<中略>確かに短期的な業績に責任を負う必要がなければ厳しい決定を下さず、長期的な展望をその言い訳に使いがちである。「将来に投資している」というのがその決まり文句だ。
しかし、次第に短期的な動向ばかりが重視されるようになり、バランスが崩れ始めた。確かに短期の業績重視は企業の管理職が問題点を見直すよい機会になったが、長期的な展望があまりにないがしろにされるようになった。・・・<中略>しかし企業が短期的な業績を上げるように強いられる状況が続けば、企業は長期的にみて利益を上げることができず、結局はアメリカ経済全体も伸び悩むことになるかもしれない。
『ルービン回顧録』 〜第十二章 P.439〜441〜